「自己評価、高すぎ問題。」
「自分のことを正しく評価できるのは自分しかいない!」とか言うけれど、本当にそうだろうか?
だったら、自分の歌声を録音して聞いたときの絶望感は何なんだ。
「あれ…こんな声だったっけ?」って、己のリアルを知った瞬間のあの冷や汗。
他人に言われる前に、自分で気づいてしまう”ズレ”。
「自分の評価は、自分で決める」なんて言葉ほど、都合のいい逃げ道はない。
本当は、世の中の評価って、ほとんど “他人次第” なのに。
「自信過剰も謙虚すぎも、どっちも痛い」
自信満々な人に限って、周囲の評価とのギャップがえげつない。
「俺って天才じゃね?」って思ってるヤツが、実はただの “自己陶酔型迷惑クリエイター” だったりする。
一方で、自己評価が低すぎる人もいる。
「あたしなんて全然ダメで…」って言いながら、ガチで有能な人。
自分を過小評価しすぎて、もったいない人生を送ってるパターン。
結局、自分の評価なんて、どれだけ頑張っても “他人のフィルター” を通したものにしかならない。
「評価はコントロール不能」
上司の機嫌がいい日は、適当にやっても「君、よくやった!」って褒められたり、
逆にめちゃくちゃ頑張ったのに、「まあ、普通かな」って流されたりする。
そう、評価って結局 運ゲー なんですよ。
どれだけ実力があっても、見てる人次第で全く変わる。
SNSでバズった人が 「努力すれば夢は叶う!」 とか言ってるのを見ると、
「いや、それ、アルゴリズムのおかげやん」ってツッコミたくなる。
努力は大事だけど、それ以上に「どこで、誰に見られるか」が 評価の9割 を決めるのが現実。
「他人の評価を気にしすぎると、人生つまらん」
とはいえ、「評価なんてどうでもいい!」って開き直れるほど、強靭なメンタルを持ってる人は少ない。
でも、他人の評価ばっかり気にしてたら、人生しんどくなる。
本当はやりたいことがあるのに、「こんなことしたらどう思われるかな…?」って考えてるうちに、何もできなくなる。
だから、こう考えたらいい。
「評価されるためじゃなくて、やりたいからやる。」
その結果、誰かに認められたらラッキー。
ダメなら、それもまた人生。
結局、評価って 他人の気まぐれ だから、振り回されるのはバカバカしい。
それより、「自分が納得できることをやる」 のが、一番健全なのかもしれない。
エピローグ:評価なんて、天気みたいなもん
晴れの日もあれば、雨の日もある。
昨日まで「すごい!」と持ち上げられていたのに、今日は「あれ、意外と普通?」なんて言われることもある。
それが “評価の不確実性” ってやつだ。
他人の評価は 気まぐれな天気 みたいなもの。
誰かにとっての「快晴」が、別の誰かにとっての「土砂降り」になることだってある。
だからこそ、そんなものに振り回されても仕方がない。
「評価は他人がするもの」
それなら、自分ができることは 「自分自身をちゃんと楽しむこと」 くらいしかないんじゃないか。
人生は、天気予報みたいに「晴れ時々くもり」と予測できるものじゃない。
むしろ、 「急な通り雨が降ったら、傘がなくてもまあいっか」 くらいの軽さで生きたほうが、案外ちょうどいいのかもしれない。
——これで、ひとまず「LIFE ESSay」は一区切り。
次に書くのは、3月1日よりまた違った景色の話。
新しい日々の中で、またふと思ったことを、ぽつりと書いていこうと思う。