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LIFE Essay 『言葉の持つ真髄―「日日是好日」の世界に寄せて』

ふとテレビをつけた瞬間、目に飛び込んできたのは樹木希林の姿だった。


あぁ、またこの映画だ。何度観ただろう。


もう台詞の一つ一つを覚えてしまうほど繰り返し観ているのに、気づけばまた引き込まれ、息をのむ。


そして、また涙する。

最初にこの映画を観たときは、ただ静かに流れる茶道の世界に魅了されていた。

畳の上での一歩一歩、湯のたぎる音、茶筅を振る所作、そのすべてが美しく、心を整えていくようだった。

しかし、繰り返し観るたびに、私はこの映画の奥深さに驚かされる。



それは茶道の映画ではなく、「生きる」ということそのものを描いた物語だった。

「日日是好日」——

その言葉の意味を、私はどれほど理解できているのだろうか。

晴れの日は晴れを楽しみ、雨の日は雨の音に耳を澄ませる。


ただ、それだけのことなのに、それを「良い日」として受け止めることがどれほど難しいことか。


人生はいつも思い通りにいかない。嬉しいこともあれば、悲しいこともある。
それでも、それらすべての日が、自分の人生を形作っている。

ある日、私は茶室の片隅に座っていた。
掛け軸には「日日是好日」の文字がかかっている。

先生は静かにお茶を点てながら、こう呟いた。

「形より、まず心。」

私はその言葉の意味を考えながら、茶碗を手に取った。
形にこだわるあまり、心が置き去りになっていたのではないか。

ただ美しく見せるために、ただ間違えないように。

けれど、それでは何の意味もない。

春には、桜が咲き、風に舞う花びらを眺めながら一服のお茶をいただく。

夏には、蝉の声を聞き、汗ばむ手のひらで茶碗の涼しさを感じる。

秋には、紅葉を愛で、静かな風に包まれながらお茶の香りを楽しむ。

冬には、雪の音を聞きながら、湯気の立つ茶碗をそっと両手で包む。

茶道とは、こうした何気ない季節の移ろいを味わうことなのかもしれない。
そして、それは「生きる」ということと同じなのかもしれない。

樹木希林が演じた茶道の先生は、決して多くを語らない。

ただ、そこに存在し、ただ一つひとつの動作を丁寧に行う。

しかし、その佇まいだけで、人の心を震わせる力があった。

彼女が紡ぐ言葉は、静かに、しかし確かに心の奥深くに届く。

私は、何度もこの映画を観ているのに、観るたびに違う感情が湧き上がる。涙がこぼれる瞬間も違えば、心に刺さる言葉も違う。

そのときの自分の状況や心のあり方によって、この映画はまるで違う物語のように映る。

「日日是好日」

画像
静かな茶室に差し込む光の中、湯気が立つ抹茶を点てる茶人の姿。侘び寂びの精神が息づく瞬間。

この言葉の意味を、本当に理解できるのはいつになるのだろう。

きっと一生かけても、その本質にはたどり着けないのかもしれない。

けれど、それでもいい。
人生は、すぐに答えを出すものではなく、ゆっくりと味わうものだから。

どんな日も、好日である。
それを信じて、今日もまた、生きていく。

エピローグ

映画が終わった。
画面は静かに暗転し、最後の余韻だけが残る。
私は、しばらく動けなかった。

心のどこかに、小さな風が吹いたような気がした。それは懐かしくもあり、新鮮でもあり、何かをそっと教えてくれる風だった。

「日日是好日」

この言葉は、決して特別なものではない。
けれど、だからこそ深い。

晴れの日は、ただ晴れを喜び、雨の日は雨の音に耳を澄ませるだけでいいのに、それがどれほど難しいことか。

私たちはいつも、もっと特別なものを探してしまう。もっと素晴らしい明日を、もっと輝く未来を、もっと正しい答えを。


けれど、本当に大切なのは、目の前の一瞬一瞬を丁寧に生きることなのだ。

樹木希林が演じた茶道の先生のように、
言葉少なくとも、心の奥に深く届く生き方をしたいと思った。

静かに立ち上がり、窓を開ける。
夜風がふわりと頬をなで、遠くで風鈴の音が鳴った。

この風も、この音も、今この瞬間しか味わえないものだ。それなら、もう少しだけ、目を閉じて深く感じてみよう。

どんな日も、好日である。
それが、きっと、生きるということなのだから。

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