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SATIRIcal Essay:『貧困とプラスチックの海』

はじめに

海というものは、どこか神聖な場所だと私は常々思っていた。だからこそ私は海の側に何十年の住んでいる。潮の香りに包まれると、幼い頃に見た水平線の美しさが脳裏に浮かぶ。だが、その美しい海が、いまは人々の手によって徐々に姿を変えられようとしている。特に、私たちの手から零れ落ちたプラスチックが、果てしない海原に漂う姿を見たとき、私たちは何を思えばいいのだろうか。


コンビニ袋の運命

ある日、私は何気なくコンビニで買い物をしていた。缶コーヒーとサンドイッチ、それに新聞。会計が終わり、店員が何事もないように袋を手渡してきた。今では流石に有料化をして少しでもびにーr45ウ袋の問題を減らそうとしていますが・・・何気なく受け取ったそのビニール袋が、果たしてどこへ行くのかを考えたことがあるだろうか?

その袋が、きちんと処理されるならまだいい。だが、どこかで捨てられ、風に舞い、雨に流され、そして海に辿り着く。そうなれば話は違う。海洋ゴミとして漂流し、あるいは遠い国の海岸に打ち上げられる。そこには、私たちが想像もつかない現実が広がっている。


遠い国の海辺で

その昔。旅行で訪れたインドネシアのある小さな漁村を訪れたときのことだ。その村の海岸は、信じられないほどのプラスチックゴミで埋め尽くされていた。

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美しい海岸線を覆うプラスチックごみと、それに翻弄される子どもたちの姿が現代の環境問題と貧困の現実を物語る。

青い海を望むべきその場所は、ペットボトルやコンビニ袋、壊れたおもちゃなど、どこかで捨てられたものたちの墓場となっていた。

村の子どもたちは、そのゴミの中から使えるものを探していた。男の子が手に取ったのは、日本語のラベルがついた調味料の空き瓶だ。それを大事そうに洗い、まるで宝物のように抱えていた。その瓶が私たちの手元にあったものだと気づいたとき、胸が締めつけられる思いがした。


海の向こうとこちら

その漁村では、ゴミ拾いは日常の一部だった。村の人々は、それを売って日々の糧を得ている。それが彼らの生活だと言うが、それが「当たり前」であるはずがない。私たちの便利さの代償を、彼らが背負っているという事実を、私たちはどれだけ考えたことがあるだろうか。

そして、私たちは果たしてどれだけの責任を負う覚悟があるだろうか。ビニール袋一枚、ストロー一本が、誰かの生活を翻弄しているという現実を前にしたとき、私たちは目を背けるのではなく、その現実と向き合うべきではないか。


終わりに

海は、それでも広く、美しい。だが、その美しさの裏には、私たちが見過ごしてきた現実が静かに潜んでいる。誰かが捨てたものが、誰かの生活を脅かしている。そして、その海がやがて私たち自身の未来をも侵しかねないという事実を、どれだけの人が意識しているだろうか。

次にコンビニ袋を手にしたとき、その行方を少しだけ想像してみてほしい。何気なく捨てられるその袋が、遠い国の海辺で、子どもたちの手に渡る姿を。そのとき、私たちにできる小さな行動が何か見えてくるかもしれない。しかし、環境問題というものは、往々にして人々の記憶から薄れがちである。ひとたび話題から消えれば、忘却の海に沈んでしまう。その人間本来の「いい加減さ」を清掃しない限り、問題の本質は何一つ解決されない。

かつては「無料」が当たり前だったビニール袋も、有料化の波に飲まれた。私たちはそれを「意識の変化」と捉えたが、果たして本当にそうだろうか? 作り手たちは、コストよりも環境への配慮を重視し、世間の目を意識して害の少ない素材を採用し始めた。しかし、その製造過程ではまた新たな問題が生まれている。素材を作るために排出される二酸化炭素、さらには輸送や廃棄に至るまで、環境負荷はゼロにならない。結局のところ、「エコ」という言葉に振り回されながら、私たちはまた別の形で環境を壊しているのかもしれない。

なんのこっちゃいな、と思う人もいるだろう。しかし、これは過去から現代に至るまで、私たちが繰り返してきた「便利さと自然のせめぎ合い」の縮図に他ならない。問題の根本は、私たち一人ひとりの意識の中にある。それが変わらない限り、どれだけ制度を変えようと、素材を改良しようと、同じことを繰り返すだろう。

いま一度、私たち自身の心に問いかけてみるべきだね。日常の中で当たり前になりすぎた行動が、果たして未来にどんな影響を及ぼすのか。心の中に残るほんの一滴の疑問が、次の一歩を変える鍵になるかもしれない。海が私たちに教えてくれるのは、単なる美しさではない。その奥底にある、静かで深い問いかけなのだ。

〆の言葉

「いまさら何を問題にしているの?そんな話題はもう古くさいでしょ」と言う人がいるかもしれません。確かに、環境問題というテーマは長い間語られ続けてきました。しかし、結果的にそれが解決されていないからこそ、私たちは同じことを何度でも言い続ける必要があるのです。

問題が古いのではありません。むしろ、その解決を忘れてしまう人間の心が「古くさい」のです。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とはよく言ったものですが、環境問題に関してはそれが許される状況ではありません。私たちの一つひとつの選択が未来を形作っているからです。

だからこそ、この話題が繰り返されることに価値があります。言葉が届く先に新たな気づきが生まれるかもしれない。たとえ小さな一歩でも、それを積み重ねていくことで、次の世代に少しでも良い環境を残せるのだと信じています。

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