パリ五輪柔道女子52キロ級での阿部詩選手の敗退は、多くの日本人に衝撃を与えました。
圧倒的優勝候補として期待されていた彼女が2回戦で敗れ、畳の上で号泣する姿が各メディアで感傷的に報じられました。
しかし、この一連の出来事には深刻な問題が潜んでいます。
試合後、阿部選手が感情を爆発させた姿は、「詩、大号泣」「詩、あゝ無情」といった見出しでセンセーショナルに取り上げられました。スポーツライターの津田俊樹氏は、「詩選手の試合後の振る舞いは非常に残念だった。
勝者を称えることなく、感情的に泣き叫んだことで試合進行が妨げられ、次の選手が待機を強いられた」と厳しく指摘しています。彼女の行動は、勝利したウズベキスタンのケルディヨロワ選手が見せた冷静で礼儀正しい態度と対照的でした。
元宮崎県知事の東国原英夫氏も、「悔しい気持ちは分かるが、柔道家として毅然とした態度を見せてほしかった」とコメント。津田氏はさらに、「詩選手の態度は、日本のメダル至上主義、勝利至上主義の象徴であり、メディアがその問題を批判する視点を欠いている」と続けます。
日本のスポーツメディアは、阿部選手の号泣をセンセーショナルに報じる一方で、ケルディヨロワ選手の礼儀を重んじた態度についてはほとんど報じていません。
この報道の偏りは、日本のスポーツ界とメディアが抱える深刻な問題を浮き彫りにしています。感情的な報道は選手の倫理観にも悪影響を与えかねません。
阿部詩選手の号泣は、スポーツ界とメディアの関係に深刻な疑問を投げかけました。
選手の感情をセンセーショナルに報じることが、果たしてスポーツの本質を伝えることになるのでしょうか?日本のスポーツ報道には、批評性と客観性が今こそ求められています。
世界中から素晴らしい国と「日本」が絶賛されていますが、瞬間、瞬間の積み重ねが取り返しが付かない結果を招く事の無いようにあって欲しい。以前より国内では理解不可能な事件をNEWS観る事が多くなりました。